毎年自分の誕生日には「あぁ、おとんももう◯◯歳か・・・」という想いに駆られます。
今年も、ふと
- あと何回、父と会えるんだろう。
- どれぐらいの時間、父と過ごせるんだろう。
という想いが頭をよぎり、調べてみると【あと何度親と会えるかを計算する公式】があることを知りました。
【(平均寿命−親の年齢)×1年間に会う回数】
(女性87.26歳、男性80.09歳)
“あと何回親と会えるか”の公式だそう。
僕に残された時間はなんと「0.4回」!!!
20歳で人生の半分は終わってる(ジャネーの法則)
年齢を重ねると時間の経過がものすごく早く感じてきませんか?
ということがどんどん増えてきました。
友達の子供の成長で月日の流れを感じるとか。
この時間を感じるのが早くなる理由として有名なのが「ジャネーの法則」です。
簡単に言えば生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)と主張したものである。
例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日が50歳の人間の10日に当たることになる。
ジャネーの法則-Wikipedia
すごくわかりづらいのですが、このWikipediaの例の場合、
50歳の大人から見ると「1年」という時間は「人生の2%」に過ぎないので、
50歳の大人の「1年」は人生において2%の「一瞬の出来事」です。
しかし、5歳の子供にとっての「1年」という時間は「人生の20%」
1歳の子供からみた1年間は「100%」になり、次の1年はそれまでの人生の倍の時間を生きることになるので、ものすごく長い時間に感じます。
つまり、
- 生きてきた年数と共に「1年の長さの比率」が小さくなり
- 時間が経過するのが早く感じる
ということ。
このジャネーの法則によると、80歳を寿命だとした場合
0〜20歳までの体感速度と、20〜80歳までの体感速度が同じになるそうです。
つまり、人は20歳になると体感的には人生の半分を過ごしたことになるのです。
親が自分にかけてくれたコストを考えたことがある?
僕は「超低出生体重児(超未熟児)」と呼ばれる、体重が1000g以下+仮死状態で生まれました(出生時の体重が800g)。
こちらのインスタの赤ちゃん(680g)よりは少し大きかったですが(大きいのかい)、同じように「手のりサイズだった」と未だに言われます。
超未熟児で生まれると新生児集中治療室(NICU)というところで、保育器に入れられて育ちます。
僕が生まれた田舎の病院では対応ができず、出産後すぐに母と共にヘリコプターで医大がある大きな街の病院へ搬送され、家に帰れたのは生後半年が経ってから。
それまでの半年間は、
- 母が乳を絞る
- 父が乳を400km以上離れた大学病院まで運ぶ
- 母が絞って父が運んだ乳を子は飲まない(いちごの汁は飲む)
という生活を続けていたと聞いています。
生まれた時点で「ヘリを飛ばす」というコストのかかる子供だったのに、中学校に入ると「吹奏楽部」という金持ちしかやってはならないような部活に入ります。
あまりにもうるさいからなのか、中2のときには父が実家を改築して、なんちゃって防音室のような部屋まで作ってもらいました。
高校も全国大会どころか海外にも演奏旅行に行くようなガチ中のガチな吹奏楽部だったので、入学と同時に楽器代にユニフォーム代に遠征費に・・・と、1年間で親の年収ぐらいはかかってたのではないかと推測しています。
就職をして、これからはやっと安心させられると思ったら、鬱病を発症し休職。
そして、まともな仕事につくかと思ったら、フリーランスという安定とはかけ離れた形態。
親がかけてくれたコストを考えたら、僕は間違いなく「子供はコスパ」の悪い生き物です。
そのくせ、親には生意気な口をきいて、泣かせたこともありました。
20年間で親と会えたのはたったの“2回”
高校進学と同時に実家を離れたので、親と一緒に暮らしていたのは中学校卒業までの15年間でした。
母親は小さい頃から旅に出る癖があり・・・両親は同じ親と3回籍を入れるというぶっ飛んだ家庭でした。
幼少期の記憶には母親が欠けていた時期がありますし、高校在学中にも2度目の放浪に出てしまったので、長い間、母親が生きているのか死んでいるのかさえ知りませんでした。
今は実家に帰るにしても飛行機とJRとバスを乗り継いで帰らないとならない場所に住んでいます。
中学卒業後の約20年間で父親と会えたのは2回、母親と会えたのは2回。
【(平均寿命−親の年齢)×1年間に会う回数】
この公式に当てはめると10年に1回のペースでしか親に会えていない僕が両親に会えるのは「0.4回」。
もしかすると僕は親の死に目にも会えないかもしれません。
それでもあなたも僕も愛されてた
僕は自分で親を選んで生まれてきたわけではないと思っている派です。
僕は父が40歳のときの子供なので、周りの友達にはおじいちゃんだとからかわれることもありました。
でも、一緒にお風呂に入ったときに父が作ってくれたタオル風船は手品みたいだったし、運動会では誰よりも脚が速い父が自慢でした。
放浪癖のあるおかんが作るご飯が大好きだったし、いつもおかんと一緒に料理をしていたので、大体の料理を作りすぎてしまうのも、しょっぱくなってしまうのも母親と同じ。
父がおじいちゃんでも、放浪癖のある母でも、ぶっ飛んだ両親が僕は大好きです。
生きていれば親を憎みたくなることもあるし、「私は望んで生まれてきたわけじゃない」という家族の形があるのも事実です。
それでも僕たちがお腹にいて、お母さんと一緒に眠りにつくときにお母さんはあなたのことを愛おしいと思ってくれたはず(「まじでお腹痛いわ。イラッ 早く出てこいや。イラッ」とも思ったはずだけど)。
色んな事情でお父さんやお母さんがいなかった人も、誰かがおむつを換えてくれたから、誰かがミルクを飲ませてくれたから、誰かが僕らに愛情を注いでくれたから今生きているはずなんです。
「愛されたことがない」
それは被害妄想かもしれない。
“終わり”の時間を考えながら生きていく
僕たちは時間が”有限”だというのをつい忘れてしまう生き物です。
特に親のこととなると、なぜか「いつまでも生きてくれている生き物」ぐらい思っている節があります。
それでも間違いなくやってくる「死」。
もしかすると「死」というものが、僕らの時間は”有限”なんだというのを自覚させてくれるモノなのかもしれません。
【(平均寿命−親の年齢)×1年間に会う回数】
あなたはあと何回親に会えますか?